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神田錦町 更科(かんだにしきちょう さらしな)は、東京都千代田区神田錦町三丁目にある1869年(明治2年)創業のそば屋店舗。 == 概要 == 神田錦町 更科は、麻布永坂「更科」(現・更科堀井)の最初の暖簾分けの分店である。更科堀井の創業は1789年(寛政元年)、信州出身で信州特産晒布の保科家御用布屋だった八代目清右衛門が、領主保科兵部少輔からそば打ちがうまいのを見込まれ、布屋よりも蕎麦屋の方が良いのではと勧められ、麻布永坂の保科家の江戸屋敷傍に、そば屋「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」を創業したのが始まり。 当初は、大名屋敷や寺院などに出入していたが、明治時代半ばの最盛期には、皇室や宮家などにも出前を届けた。創業以来、五代目布屋松之助に至るまで、麻布永坂「更科」は一軒も支店を出さなかった。1869年(明治2年)、六代目布屋松之助のとき、神田錦町に初代堀井丈太郎「神田錦町分店」を開店した〔岩崎信也著、『蕎麦屋の系図』、「更科の系図」、光文社、2011年7月20日、国立国会図書館蔵書、2016年2月20日閲覧。〕。 信濃の国はかつては科(シナ)野の国で、科の木の多いところだった。この木の皮を剥いで縄につくり、布を織ったり、紙をすいたりした。仁科は煮科、保科は穂科、科の花の形容か、更科は晒科の意か、この科の皮は丈夫なので桶のたがにも利用されていた〔植原路郎著、『そば物語』、井上書房、昭和34年12月1日、国立国会図書館蔵書、2016年2月25日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神田錦町 更科」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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